人の役にたちたい、という危険性

今の社会通念として、人の役に立ちたいということは、手放しに素晴らしいことだと思われていると思います。でも実は、そこには大きな罠があり、しかもたくさんの人がその罠にはまっていると思います。

罠というのは、「ありのままの自分には価値がないから、人の役に立つことでその無価値感を埋めよう」とする心の動きです。

これをやってしまうと、人の役に立てなければとても苦しいし、もし立てたとしても、それは自分自身の価値ではなく、人の役に立とうと努力したことの価値なので、結局自分自身の価値は空っぽのままで、満たされることはありません。

僕は、本来あるべき「人の役に立つこと」というのは、原因→途中経過→結果で言うと、結果もしくは、結果に近い途中経過だと思います。原因ではありません。つまり、人の役に立つ→幸せを感じる、という順番ではなく、自分が幸せでいる→結果人の役に立つ、という順番だと思うのです。そして、「人の役に立つ」ことは本来は、今自分がやっていることが、自分のやるべきこととマッチしたいい感じのことなのか、独りよがりなものなのかの指標となる、フィードバックの一部にすぎないと考えています。

①自分のやりたいことをやる(本当にやるべきこと) → 人の役に立つ → 高評価や良いフィードバック

②自分のやりたいことをやる(独りよがり) → 人の役に立たない → 不評、無視など

というわけで、これから先、人の役に立つことよりも、まずは自分自身が本当にやりたいことをやることを大切にしていきたいと思っています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA