表現しないと何も始まらない

僕が普段見ているブログの1つに、いばや通信というブログがあります。

書かれている言葉の純度が物凄く高くて、言葉が自分の心を突き抜けるような、自分の体の中にぐわーっと広がっていくような、そんな感じを受けるブログです。そのブログを書かれている坂爪圭吾さんのtwitterからリンクを貼られていた、足もみ師の村元聡美さんという方のブログ(記事タイトル:「暮らしと、表現と、仕事が重なる生き方」)を見ていて、ああそうだった!と思い出したことがありました。

以前、坂爪さんが好きだと言っていたブルーハーツの動画を見ていた時、

「ああ、この人も自分の内側から出てくるものを表現したくて仕方がないんだなぁ」

と思ったのですが、「この人」ということは、自分も表現したくて仕方がないのか!!という事にその時気がついたのです。確かこのブログを始めたのも、なんだか自分の思っていることを発信しないと、何も始まらないような気がして、始めたのだと思います。

上記の坂爪さんも村元さんも、自分の内側と繋がっている人だと思います。自分も、そうして自分の内側と繋がって生きていきたいと思うし、自分の内側から聞こえる声にちゃんと従って生きていきたい、と最近思っています。そして、自分の内側と繋がれている限り、その生き方が常識から見てどうなのかとか、社会的に立派とされることなのかとか、そんなことはもうどうでも良いことなんだろうな、と感じています。

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